
フリュネの裁判
小保方女史は、脱げば良かったんぢゃなかろうか?
小保方女史の涙の会見の後、 "彼女は人を欺くような人ではないと思った"、"彼女は STAP 細胞の存在を確信しているようだ。" のような、擁護意見が出ているのを見て、思い出したのが "フリュネ の裁判" だ。
古代ギリシャの裁判の話で、不利な形勢だった被告人フリュネは、ローブを脱いだか、弁護人に脱がされたか…して、「こんな美しい人が罪を犯すはずがない!」ということで無罪となった。…のだそうな。
会見を見てどう思うのかは人それぞれで、良いも悪いもないのだけれど、まだまだ、論理ではなく感情で判断する人が多数派を占める時代のようだ。目に見える技術の進歩は目覚ましいけど、目に見えないところについては、古代ギリシャの頃からあんまり進歩してないのかもしれない。
いくつかの会見記事を読んだ限り、どの情報を出すのか? どのような印象を作るのか? が、とてもよくコントロールされていたようで、 めちゃめちゃ戦略的やん! と思ったのだが、「オボちゃんが言うんだから、きっと STAP 細胞はあるんだヨ! 心の綺麗な人にしか分からないんだぁ〜!」とか、思っちゃうような名演技だったのだろう。涙が演技ぢゃなく、精神的に弱っていたためだったとしたら、 少なくとも弁護士は、彼女が泣くのを分かっていて、戦略に組み込んでいた と邪推してしまう。そんな私の心は、きっと汚れているに違いない。 :-P
彼女の涙が演技ぢゃないのかどうか? STAP 細胞の存在を本当に確信しているのかどうか? それは永遠に分からない。知る術はない。ただ、 "STAP 細胞の存在は証明されなかった" というのが 観測された事実 だ。STAP 細胞がないことを証明すべきといった意見も見られたが、それは 悪魔の証明 なので、無理難題というものだ。
彼女 (と弁護士) のベクトルは、どうやら職かプライド (…か、他の何かかもしれない) を守る方向に向いているようで、残念ながら、科学的事実が明らかになることは当分はなさそうだ。
さてさて、 STAP 細胞はあるやなしや?
参考