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学ぶとは、真似ること

学ぶ の基本は 真似る なんだけれども、真似ないのはなぜだろう?

一般的に 学ぶ の語源は 真似る とされているのだけれども、それはともかく、身の回りに学習しない人、真似ない人が多いなぁ〜という印象。

具体的なことを書くと生活に支障が出るので、違う話で進みてみる。^^;

例えば、ゲーム。とあるグループシステムのある対戦型ゲームで遊んでいるのだけれども、新しくグループに入ってきたほとんどの人は、勝ち星を上げられないまま、去って行く。残る人は、他の人のプレイを見て、質問して、戦い方を学んで勝ち星を挙げられるようになってゆく。

私が所属しているグループは常勝軍団で、滅多に負けることがない。勝つためのコツがあって、それをうまく共有できているのだ。すべてを言語化することはできないので、グループに所属して、仲間のプレーを観て、それを真似することが成長の近道になっている。もちろん、アドバイスのやりとりはある。だが、論より証拠という通り、アドバイスは問題点の気付きを提供するところまでで、実演の方が効果覿面なのは間違い無いだろう。そうやって他人を真似ることが、学びの近道なのだ。

自分の人生を振り返ると、プログラミングを覚えたのは、ソースコードが掲載されていたベーシックマガジンなどの雑誌の写経だった。最初は意味もわからず、ゲームで遊びたいがために、ひたすら打ち込んでいたのが始まりだった。

今では、わりと誰とでも仲良くなれる私だが、どうやったら人と仲良くなれるのか? は、人に好かれている人をひたすら観察して、真似をした。仕草、表情、言動を観察し続け、気付いたことを真似るようにした。

プレゼンも真似をした。ジョブズのプレゼンは文字が少ないから、オレも文字を書かない! という程度ではあるのだけれど。 ^^; (ま、これは師匠に 30pt 未満のフォントは使うな! と指導されたことも影響している)

漫画と推理小説ぐらいしか読まなかった私が、乱読するようになったのも真似だ。尊敬する人が乱読だったからだ。

欠点だらけの自分ではあるけれども、今の自分を構成している多くの部分はいろんな人の真似だ。うまく真似れてない部分も多分にあるだけれども、そんなに悪くない自分を作れているとは思う。…うん、まあ、たぶん、そこそこ…。 ^^;

それだけに、真似ない人が大多数なのは、私には理解できない。

例えば…。社内で「ぜんぜん情報共有できてないですよね。誰が何をやっているのか、ぜんぜんわかりません。」という話題が上がったとする。「ぢゃぁ、社内ブログとか書いて、やっていることをオープンにしよう。」という話になって、ブログを書くんだけれども…。書いているのは私だけだったりする。

私に仕事を依頼する手続きがわからないという話題が上がったとする。私は依頼フォームのテンプレートを作って、誰でも見えるように SNS でやりとりするワークフローも作る。公開の場でやりとりすることで、後に続く人のサンプルになるだろうと。だがしかし…。「これってどーすればいいですか?」と結局個別にメールが来ちゃうのだ…。 (><)

とあるチャットシステムを導入した。そのチャットシステムはファイルを添付でき、添付ファイルのコメント形式で関連のある話題を展開できるようになっている。だが、その機能を使うのは私だけ。みんな、それを無視して通常のチャットルームにコメントを書き込む。そして「このチャット、いろんな話題がごちゃまぜになって、ぜんぜん使えないっすね!」とのたまう。『ごちゃまぜにしてるのはお前だろ!!』と言いたいのをグッとこらえて、「…他にいいのある?」と訊くと、「いや〜、そーゆーの詳しくないんで。^^」「……………… (--;」

「学習しろ!」「真似ろ!」と怒鳴りたい日々ではあるのだけれども、そこはグッとこらえて…。まずは、真似ない人のことが知りたい。なぜ、真似ないんだろ????